啓明館 - 神奈川県・横浜市の中学受験専科塾

啓明館事業部長 渋田先生日記

2021年11月12日

カンボジア訪問記③

最終回です。

 

『わたしは10歳のときに初めて銃を与えられました。中には銃に慣れていない子供もいたのに、クメール・ルージュは安全装置をはずした銃を与えたりしました。そのために銃の使い方を知らなかった友達の1人は、誤って自分の頭を撃ってしまったのです。

ある夜、ベトナム軍が攻撃してくることを知ったわたしたちは、あらゆる戦法を用意してのぞみました。例えばある拠点ではたくさんの野菜や肉と、木から取れるスープを置いて逃げたふりをしました。ベトナム軍は拠点がもぬけのからだったので、楽勝だと喜び、残しておいたスープでお祝いをしたようです。毒が入っていたので、当然兵士たちは倒れだし、わたしたちクメール軍はそこへ戻ってベトナム軍を皆殺しにしたのでした。

ベトナム軍はクメール・ルージュと同様、徴兵に必死で、この頃から以前のような残忍な扱いを止めて、待遇を良くしようとしていました。政府軍は、わたしが軍に加われば、地位や権力や良質な食料、お金などを保証すると約束しました。わたしは、混乱しましたが、長老の助言に基づき、徐々に政府軍につくようになり、今度は以前所属していたクメール・ルージュ軍を相手に戦うことになりました。この時点でもわたしは世の中で何がおきているのか知るよしもなかったので、このような日常が普通なのだと思いつづけていました。

ベトナム軍での生活はクメール・ルージュにいたころとあまり変わらず、わたしたちは相変わらず食糧不足に悩まされ、常に食糧を探し求めていました。何と象の鼻を食べたこともありました。

配給された食糧はひどいもので、米は古くてかび臭く、小石が混ざっていることもありました。

あまりに空腹な上に米を炊く水が見つからないときは、ビニール袋に放尿して、米をふかして食べることしかできず、こういうこともたびたびありました。

ベトナム軍には、アンコールワット付近の貴重な文化財を破壊した罪があります。兵士たちは暇つぶしに文化財を射的にして遊んでいたのです。たくさんの古美術を略奪したり、ジャングルの木材を大量に伐採したので、結果的に広大なジャングルの土地を失うことになりました。

ある日、わたしは戦場を走りまわりながら、敵に向けて銃を構えたとき、照準をのぞくと何とそこには叔父の姿がありました。わたしはこれに驚いて銃を下ろしましたが、叔父はわたしだと気づかず、約50m離れたところからわたしに向かって銃を撃ちつづけたのです。草むらに隠れていると、仲間が、わたしに戦意がないのに気づき、「いつもの正確な射撃はどうしたのか?」

と聞いてきました。彼らには、「頭痛がするまでまっすぐ撃てないんだ。」と説明しましたが、撃ちかえさないわけにもいかなかったので、しかたなく叔父が逃げるまで叔父の頭上に発砲しつづけました。昨年、叔父とそのことについて話をし、多いに笑いました。

苦労の甲斐あって、アンコールワット周辺は5年前に安全になりました。でも、その他の地域では、地雷や不発弾などと共に今日も生活しています。地雷の被害者はこれまでで27000人にものぼります。そして、今日でもその数は増えつづけています。地雷をふんだ時にたまたま銃をもっていて、あまりの痛みに我を忘れて助けにきた人を撃ってしまった人もいます。この国や世界各地に埋まっている地雷の数は見積もりでしか分からず、まだ世界のどこに埋まっているかも明らかではありません、全ての地雷を撤去するにはあと50年から100年もかかるのです』

 

令和の和は、平和の「和」であるべし。

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