2020年11月23日
水の呼吸拾壱ノ型 凪
太宰治の小説「春昼」。甲府市の武田神社の近くに住まいがあったときの作品です。武田神社の入り口には、太宰が愛した桜がまだ残っています。
<甲府のまちはずれに仮の住居をいとなみ、早く東京へ帰住したく、つとめていても、なかなかままにならず、もう、半年ちかく経ってしまった。けさは上天気ゆえ、家内と妹を連れて、武田神社へ、桜を見に行く。母をも誘ったのであるが、母は、おなかの工合(ぐあい)悪く留守。武田神社は、武田信玄を祭ってあって、毎年、四月十二日に大祭があり、そのころには、ちょうど境内の桜が満開なのである。四月十二日は、信玄が生れた日だとか、死んだ日だとか、家内も妹も仔細(しさい)らしく説明して呉(く)れるのだが、私には、それが怪しく思われる。サクラの満開の日と、生れた日と、こんなにピッタリ合うなんて、なんだか、怪しい。話がうますぎると思う。神主さんの、からくりではないかとさえ、疑いたくなるのである。
桜は、こぼれるように咲いていた。
「散らず、散らずみ。」
「いや、散りず、散りずみ。」
「ちがいます。散りみ、散り、みず。」
みんな笑った。
お祭りのまえの日、というものは、清潔で若々しく、しんと緊張していていいものだ。境内は、塵一つとどめず掃き清められていた>
入試や部活の大事な試合の前には、気持ちが「しんとした緊張」であると良い結果が出ます。
今日は、浅野中学校オープン模試です。受験生、頑張ってくれていると信じています。